むさりーののブログ

思ったことを書きます

ナツノカナタ雑記 『寂しさ』の解釈

ガッツリネタバレ含

ゴリゴリに哲学を踏んでる内容だと思う。

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Steamで無料配信されている探索型アドベンチャーゲーム『ナツノカナタ』。

時間は無駄にしない良ゲーだと思う。探索なしモードもあるからオススメ!

8/27 追記 Ep16までありました。

探索なしの方が良さそうです。

ネタバレは普通にします。じゃないと更に分からなくなるので。

 

*表記

プレイヤー側 →  リアル世界。現実。

ナツノ側 →  ナツノカナタ内の世界

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今回はEp8でイツカが伝えた『寂しさ』の程度が違う、という発言の真意についてである。

 

元々、祖母の家にあったpcを引っ張って来てナツノに出会うという経緯だが現実世界とpc世界をスマホで媒介して世界が違うことを互いに認知。境界線がしっかりと敷かれた状態でスタートしている。

 

ここにおける『寂しさ』というものはお互いに温度感があるものとして捉えられる。

 

プレイヤーの世界は電源一つで全てを解決できてしまうがナツノらはpcを触っているプレイヤーに対してコミュニケーションを一方的に依存しているのではないかということに気づいた。

(プレイヤーがナツノカナタをプレイしないとナツノに会えないということ)

 

いつでもゲームを辞められるし、もはややる選択肢すら取らなくてもいい。しかし、ナツノからするとプレイヤーがpcをつけてもらわないと話すらできない。何があって、どういうことをしていたのかすら疎通が測れない。

 

 

私たちプレイヤーの「寂しさ」は

瞬間的なものである。「寂しさ」をどうにかして解消する手立てを持ち合わせているから。方法は人によりけりなところはあるが、大抵忘却することで克服している。そして寂しさをいつの間にか脱却している。

 

ナツノ側の「寂しさ」は

半永劫的な寂しさである。終末世界ということもありプレイヤー世界で当たり前にある日常が欠けている。寂しさを埋めるものが何もないのだ。

だから、より寂しく孤独。目に見えない恐怖を抱え毎日を迎える。

 

 

ここの温度差をイツカは伝えたかったと感じている。その前の天国の件や家族の話は話の肉付け。

ゲーム全体の本筋はセカイ系入れ子構造をどう考えるか。に絞られている。

また、寂しさの枝葉末節で話は展開できるし、掘り下げも十分な点からより難しい内容をゲームプレイしている人間に問いかけるということも可能になっている。